北加賀屋を知る
造船の街から、アートの街へ。数字と歴史で北加賀屋の「今」を深掘りする。
北加賀屋のNOWな数字
街のいま
※人口は北加賀屋を含む住之江区全体の値。出典:大阪市住之江区(令和6年6月1日現在推計人口・大阪市24区中第9位)/ アート拠点数は千島土地・おおさか創造千島財団の公表値。
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カテゴリ別スポット数
北加賀屋の歴史
海を埋め立てた新田から造船の街へ。そして造船所の跡地が、いまアートの街として生まれ変わった。 約270年の歩みを年表でたどる。
- 1755年(宝暦5年)
加賀屋新田が完成
海を埋め立てた新田開発によって約6ヘクタールの「加賀屋新田」が完成。エリア名の由来となった。
- 1843年(天保14年)
約104haの大新田に
新田は拡大を重ね、約104ヘクタールの大新田へ。管理拠点「加賀屋新田会所」が現在の南加賀屋に置かれた。
- 明治〜昭和
造船の街へ
木津川沿いに名村造船所の大阪工場が立地。造船業が地域の産業基盤となり、職人と労働者が集う工業地帯として発展した。
- 1972〜1974年
造船の主力が伊万里へ
名村造船所が佐賀・伊万里工場を起工(1972年)・竣工(1974年)。造船の中心が大阪から移っていく。
- 1979年
大阪工場の設備売却
名村造船所が大阪工場の設備を売却。北加賀屋の造船時代が一区切りを迎える。
- 1988年
造船所跡地が返還される
木津川沿いの敷地が地主の千島土地へ返還。ドックやクレーン、巨大な建屋がそのまま残されたことが、のちのアート活用の土台になった。
- 2004〜2005年
アートの街へ — CCO開設
30年計画のアートプロジェクト「NAMURA ART MEETING '04-'34」が始動。2005年10月、造船所跡にクリエイティブセンター大阪(CCO)が開設された。
- 2009年
KCV構想スタート
「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ(KCV)」構想が始動。空き物件をアーティストやクリエイターに提供する取り組みが本格化した。
- 現在
アートの街・北加賀屋
エリアには約50か所のアート・クリエイティブ拠点と100を超えるスタジオが集積。CCOは2025年に開設20周年を迎え、造船の記憶とクリエイターの「今」が混ざり合う街になっている。
北加賀屋トリビア
あひるマンホール 8カ所
街なかに巨大なラバー・ダックにちなんだあひるのマンホールが8カ所。探しながら歩くのも北加賀屋の楽しみ。
ロンドンバスが3台
北加賀屋には本物のロンドンバスが3台。うち1台はSMASELL内でカフェ「RouteMasterT15」に。
巨大倉庫がアート保管庫に
天井高約10mの旧工場・倉庫MASKでは、ヤノベケンジら著名作家の大型作品を保管・公開している。
復活した銭湯
一度閉業した寿楽温泉が、地域活性化と銭湯文化継続のため地元主導で再開。風情を残しつつ新たな取り組みも。
主な出典
- 大阪市住之江区「住之江区の概要」(推計人口・順位)
- 大阪産業創造館 web magazine「大阪の100人」加賀屋甚兵衛(加賀屋新田の開発史)
- 名村造船所 公式サイト 沿革(伊万里工場・大阪工場設備売却)
- 千島土地株式会社/おおさか創造千島財団(造船所跡地の返還・CCO・KCV構想)
- 大阪観光局(北加賀屋のアート拠点数)
※年代には諸説あるものについては、公式沿革・一次資料で確認できた事実のみを記載しています。